ケニア入国に際し、ビザの代わりに電子渡航認証(eTA:Electronic Travel Authorization)の申請・支払いが必要となりました(約32.5USD)。

鉄人の歩み

国立大学の生物学部への入学が許される前から生き物全般に対する興味が尋常ではありませんでした。同好の士、更には自分以上にマニアックな人々との出会いは幸か不幸か私が極端なキャリアを選ぶ局面でプラスに働いたのです。

0才
浅草に生まれる
1才
自然豊かな埼玉県に引っ越す
5才
近くのドブ川でザリガニと蛙を追う「狩猟サファリ」の日々
15才
県内最古の高校では趣味である熱帯魚飼育についてカミングアウトできず
18才
茨城のド田舎大学、生物学科へ。野生動物研究会というサークルに入り「探鳥旅行」というスタイルに出会う。今思えばこれが私のサファリ人生の原点だった。
夏休みに1ヶ月間クロウサギ、ルリカケス、イリオモテヤマネコ、セマルハコガメを探す「沖縄サファリ」に参加
19才
夏休みに1ヶ月間、シマフクロウ、ヒグマ、キツネ、ウミガラスを探す「北海道サファリ」
20才
夏休み、北海道厚岸でワモンアザラシを観察する「アザラシサファリ」
22才
同大学の院へ進む。動物生態学を学びつつ春は山形へギフチョウを求めて「狩猟サファリ」
25才
ワーホリ制度でオーストラリアへ。亜熱帯のケアンズでサファリガイドの職を見つける。毎日、観光客と一緒にイリエワニやヒクイドリを求めてジャングルやマングローブに入る日々
26才
オーストラリア最北端を目指す10日キャンプツアーにアシスタントとして参加。ここでサファリドライバーになる夢を持つ。
27才
地元のカレッジでエコガイド養成コースを受講。バイトも続ける。
28才
一時帰国中にあの同時多発テロが!オーストラリアの労働ビザが取れず泣く泣く帰国
29才
格安航空券の最大手であるH〇Sに入社。半年後にエコツアー専門デスクの立上げメンバーとして新宿本店へ。
30才
1月にボルネオへ。テレビ番組製作に同行してアジアゾウ、オランウータン、テングザルを探す「ジャングルサファリ」
12月にはパプアニューギニアへ。ゴクラクチョウ、木登りカンガルーを探すサファリ
31才
運命の初ケニア。視察目的だったがアフリカの大きさにすっかりやられて帰国。過去の動物観察旅行が全てインチキに見えるようになり、彼の地で本物の「サファリ」に携わることを決意
32才
旅行会社を退職後、カメ好きの聖地ガラパゴスへ。ペンギン、イグアナ、ゾウガメに出会えた「豪華客船サファリ」
帰路にコスタリカへ立ち寄りエコツアー先進国の実力を垣間見た「エコサファリ」。ナマケモノ、アリゲーターなどに出会った
33才
とうとうアフリカはケニアへ上陸。旅行会社の下請け業であるランドオペレーターのスタッフとして勤務開始。
46才
日本語サファリの普及に邁進する日々。現在に至る