タンザニア沖に浮かぶ群島、ザンジバル。その歴史に魅せられるもよし。ビーチリゾートとしても5つ星。世界中から観光客が集まるのも納得できました(初出2008年)。
ウングジャ島.
ヨーロッパ人にとっては憧れを誘う言葉、ザンジバル。でも地元ではスワヒリ語のUNGUJAのほうが通りがいいようです。一方でジオン軍の緑色の戦艦を真っ先に思い浮かべてしまう私はお察しのとおりガンダム世代のど真ん中なのです。
このアフリカ随一の歴史に彩られた島へ向かう観光客のほとんどはダルエスサラーム発のプロペラ機を利用します。これらの定期便は国際線から離れた小さい「ターミナル1」から出発するので要注意。しかもターミナル間の連絡バスなどないので重いスーツケースを引きずって炎天下を20分も歩く羽目に。ちなみにプレシジョンエアー(PW)だけは国際線ターミナルへの乗り入れが許可されています。
「ザン」エアー.
今回利用したのはザンエアーという航空会社。預け荷物は最大15キロですがこの機体のサイズを見れば納得も行きますね。タクシーのような気軽な雰囲気で離陸した後は約70km離れたザンジバル島までわずか20分の空の旅となります。
国際的?空港.
タンザニア本土よりもよっぽど長い歴史を持つザンジバルは、1964年の合併後もかなりの範囲で自治権が与えられています。空港到着時も同様で、本土からの国内移動にも関わらず一応パスポートとビザが調べられます。到着便を示す電光掲示板も無いのどかな空港から宿の集まるストーンタウンまでは車でわずか10分の距離です。
ロストINザンジバル.
屋上レストランが自慢のホテル「チャブダ」に荷物を置いてから陽が傾いて涼しくなった旧市街へ繰り出しました。世界遺産にも指定されているこの古い町並みは徒歩で楽しむのが一番。足の向くまま歩いているとセレナホテルが独り占めしているビーチにたどり着きました。水平線に沈み行く夕陽を見送りながらひとり物思いにふけっていると、ビーチボーイと呼ばれる「客引き斡旋サービス業」のお兄さん達が集まってきて邪魔をしてくれました。
訪問時には改修中でしたが今では完成しているはずのザンジバル名物「海産物屋台ストリート」。冷やかしつつもタコやカマスの串焼きを数本やっつけます。お酒は売ってないのでホテルに戻るまで我慢しましょう(イスラーム世界なので)。夜になるとやたら元気になる地元民に別れを告げて迷路のような帰り道を歩きつつ目にするのは遅くまで路地で遊ぶ子供達。ふと見上げると家々はレベルは違えども香港かマンハッタンのような高層建築。自分が18世紀にタイムスリップしたような感覚に襲われたのです。
観光ポイント.
町全体が西を向いているストーンタウンですが、屋上に上がれば朝焼けが見えます。階下には早朝から路地を掃き清める女性の姿。学校へ急ぐ子供達。観光客を横目に彼らのいつもの月曜日が始まろうとしていました。遠くインド洋の海面を白い三角帆を張っただけのダウ船が忙しそうに行き来しています。
ザンジバルで最も立派な教会がこちらのローマ・カトリックのもの。1998年には築100年を迎えたそうです。その奥に見えるのはイスラム教徒のためのモスクとミナレット。何世紀もの間、世界中の人々にとって交易の中心であり続けたという事実がこの風景に表れているのです。
イギリスの探検家と宣教師達がアフリカ人奴隷の売買の惨状を目の当たりにし、本国で伝え始めたのが19世紀の始め。その後は努力が実り1873年にはザンジバルでも一切の奴隷売買が廃止されました。それまで奴隷市場が立っていた場所には英国国教会の礼拝堂が建てられ、現在でも日曜に賑わう現役の教会となっています。
1883年当時、島内で最高の高さを誇っていた「驚嘆の家」。王様の宮殿でしたが数年後にはイギリスの軍艦による砲撃を受けたりし、今では博物館になっています。その向かいにはポルトガル軍と戦うためにオマーンが建てた要塞が300年の時を越えてインド洋を見つめています。この砦では毎年2月に音楽祭、7月には映画祭が開かれます。
- 1
- 2